●このごろ演劇バンドとなのる時々自動。でもおいらが朝比奈さんたちと始めた遠い昔から、時々自動は基本ずっと演劇バンドだなぁ。(今井次郎:病欠中)
●その価値については後々の人たちが評価してくれたらいいと言ってきたけど、そして今もそう思っているけど、やはり現在の人たちに気づいてほしい。(渡辺直美)
●時々自動は、大きな大きな抽象画。近づきすぎるとよく見えないけど、ぐーんと視野を広げてみるといろんなことが見えてくる。そんなステキな名画。(吉川みのり)
●美と醜、自由と不自由のキッコーバンド。(高橋牧)
●私は時々自動をアバウト30年やってます。今では、時々自動はどこにでもついてきます。台所にも、映画館にも、バイト先にも。うるさいやつです。(宇佐美とよみ)
●浅くないんです、深~いんです。
だから、強いて言えば、脳みそがシェイクされるような感じ。
それは脳内疲労も伴うのだけど、その後実にスッキリ気持ちいい。
この感覚、他ではちょっと味わえない。したがって、ヤミツキ。(藤田真砂子)
●一つの集団というよりは、時代の中にある個々がどうしようもなく引き寄せられてそこにある、御伽の国のようなバンド。 (浅場万矢)
●時々自動について今いうなら、
拡張演劇+拡張音楽=拡張快楽。
或いは、
女の子には女の子の、小母さんには小母さんの、小父さんには小父さんの、お爺ちゃんにはお爺ちゃんの「現在」があって、それが重なったり重ならなかったりしながらステージに乗っている。そういうしごく当たり前の「ダイナミック・レンジ」がベースになって時々自動の作品はでき上がっている。(朝比奈尚行)
●時々自動で私が初めて演奏した曲は『虫さん』だった。なんじゃこりゃ~と思った。そしてすぐにかっこいい~に変わった。それから何日かあと、稽古場で『ウミカラアガッタ』という曲を演奏しているのを聞いた。かっこいい~と思った。でもやっぱりなんじゃこりゃ~とも思った。
それからずーっと、「なんじゃこりゃ~」と「かっこいい~」をやっている。(日高和子)
●時々自動は、どすんと根をはった大木みたい。
枝はたくさんのベクトルをもち、そこにはたくさんの実がなっている。知らない色、味、匂いが変化しつづけ、風が吹けば音も奏でる。
そんな大木がときに暴走し、かるがると空も飛んじゃったりする。予測不能。だから安心しないでね。(砂川佳代子)
●時々自動は、その時その時のメンバーの現在を材料に料理する演劇バンドだ。料理長の朝比奈は各素材を見渡して、まったりと、あるいはピリッと、果ては毒や薬を放り込んで大胆に料理する。それは言ってみれば創作料理ではあるけれど、創作料理にありがちな押し付けがましさはなく、スッキリとした後味が残る。(鈴木光介)