幼少期から音楽と踊りに異常な興味を示す。
その後音楽と踊りが上手な小学生、音楽と踊りは上手だけどバスケットボールはそれほどでもない中学生、音楽と踊りが上手で共産主義とブレヒトとサルトルがかっこいいと思う高校生、音楽と踊りが上手だけど勉強してみたらお芝居があまり好きではなかった演劇系短大生を経て、社会に出る。
1970年代は自動座という劇団を主宰し唐十郎のエピゴネンに徹する。
80年代に入り時々自動を立ち上げ、カンパニーの「継続し展開するちから」を信じて現在に至る。
時々自動では全作品を通じて構成、演出、出演を担当してきたが、最近作『生まれて初めて出すフォルテ』では、初のプロデューサーをつとめる。
1952年生まれ 東京都出身。
「パンゴ」など80年代初頭の伝説的なバンドに参加。 85年結成以来「時々自動」の主要メンバーとして活動。
90年代の後半からJIROX名義で美術活動を活発化。自作オブジェと音楽によるソロ・パフォーマンス「JIROX DOLLS SHOW」でへなへなでシュールな世界を展開中。並行して複数のバンドでバンド活動。
ブログ JIROX INFO http://d.hatena.ne.jp/jiroxo1/
**2012/11/24 今井次郎さんは亡くなりました。
次郎さんは生きました。生ききりました。
大学では政治なんかを勉強したりして社会に疑問と不満を持ちつつ、日常生活は結構幸せに送っている。
区分的にはゆとり世代。そんな私は役者をやりたい!!
あとギター、トランペット!!
twitter
2002年「Lightlogy」初演参加後、同年、メンバーとして加入。 3年間活動後、退会。 その後、きこり文庫、BennyMoss、しでかすおともだち、ニグリノーダ、黒沢美香&ダンサーズ公演、など、ダンス作品やイベント、公演、演劇作品やwsなどに参加。2013年より、再度、時々自動メンバーとして再加入。
敬遠していたことに近づいてみる、という変化をただいま実行中。
うたにしても、楽器にしても、鍛えることと考えることが目下の課題です。
コーヒーと甘いものと猫中毒(飼猫の心地よく冷たい鼻息を浴びるのが特に好き)。
時々自動外ではバストリオの作品に多く出演中。
ときどき、ブログ Ji-Gazoに文章を書いています。
すナマき
時々自動との出会いは、名古屋ハートランドでの「ローテク・コンベンション」です。内容の素晴らしさ、楽しさに腰が抜けました。
その後、東京まで新作「ニヤヒヤ」を観に行って、これは名古屋の人にも観せたいと名古屋公演を企画し、次の「ウミカラアガッタ」を名古屋で制作しました。以来、名古屋での公演にはいろんな形で関わらせていただきました。
廃館となった今池の映画館で演った「イエヲタテル」や美術館で上演した「キネン」、テントで観た「サアウタオウ」など時々自動の舞台はいつも刺激的でした。
僕は自身のバンドで歌っている者ですが、そのバンドも先日解散してこれからまた新しいことをやっていこうと計画しています。
いつか時々自動の舞台で一緒に歌いたいと願っています。
長崎生まれ。球技が得意。器械体操は苦手。
2012年から演劇を始める。2016年夏から時々自動に時々フレンズとして加入。
いろんなことにまっすぐのびのびと取り組んでいきたい。
2012年舞踊家黒沢美香のもとダンスをはじめる。
2017年4月時々フレンズ加入。
スタートも歩みものろいですがダンサーとしてパフォーマーとして第二段階へ突入です。
外の世界をよく見てよく知ること。
長い歴史の中の今現在と踊っているときの今その瞬間どちらも忘れないようにしたい。
流氷の来る町に生まれた生粋の道産子。
札幌を中心に演劇・歌・ダンスなどの活動をしていたが、2016年ほぼ身一つで東京へ。
好きなものは歴史、一人旅、豊かな自然、木の実と胡麻。
ふと観た「リハリハ3」で時々自動に一目惚れ。
2017年春よりフレンズ参加。
桐朋学園演劇科卒業後、徐々にヴォーカリスト活動に移行。現代音楽の分野では自然な発声での演奏が評価を得ている。演劇はやめたはずだけれど、もしかして私やめてないのかしら?と思うことがたまにある。
自身の活動では自作を含む同時代詩の朗読も行うなど、文学も時折顔を出す。ことばへの関心は、100冊を超える日記にも。その他、コントラバス・河崎純とのデュオ<ユニ・マルカ>。
ブログ<暦の暦(れきのこよみ)>