飛行機でゆくから

『飛行機でゆくから』『¥1,000,000』『モメンタリー・ダンス』『毛の生えた音楽』

公演の期間中、ドキュメント2000プロジェクトのアウトリーチ支援を得た初めての試み、
「レクチャー&ワークショップ」を開催。
質疑応答の一部を採録。

レクチャー&ワークショップ
1996年10月27日(日)開催

時々自動のコンセプトについて
朝比奈(以下A) 既製の演劇といったことにこだわらずにメンバー一人一人が自分のやりたいことを、例えば美術とか、音楽とか、今までやってきたやってこないに関わらず、自分を表現するための方法としてやってみたいというのはどんどん取り入れてしまおうと。
だから時々自動の中では表現のジャンル分けみたいなのはとにかく外してしまおうというような、最初の確認がありました。
で、その中でもって自分がやりたいことを自分なりに、組み立てていって、自分なりの表現のスタイルを確立していこうと。パフォーマーなりメンバーなりの一人一人が、自分独自の表現のスタイルをつくっていく。そういうような、自由な場にしていきたいというのがあったんですね。


作品がかたちになるまで 「¥1,000,000 」の場合
A 僕たちは、とりあえずお金の勉強から始めました。で、お金の勉強から始めたというのは、どんなふうなことをやったかというとですね、ちょっとその映像がありますので見て下さい。

(ミーティングの様子が上映される)

A これは、時々自動の事務所なんですが。メンバーでレポートをしてきては、それを週に2回、発表しあって、そこでもっていろんな質問を出したりしながら少しずつ先へ進んでいくというやり方で、これは交換についての基本的なレポートを、メンバーの何人かで分け合ってやったんですが、そういう場面ですね。
で、お金の発生とか発達とかいった一般的な勉強はある程度やりました。
それで、これと併行して作品の一番核になるようなものとして美術作品を作ろうと。
で、その美術作品に値段をつけるということでもって作品を進行していけないかというようなプランが出てきたんですね。
ものの価値、それも実用品というより芸術作品の価値を金銭に置き換えるということの意味を探っていこうと考えたわけです。
これは普通の意味での商品を製造しようという考えとははっきりと距離をおいて演劇活動している自分たちにとって非常に切実な問題でもあるわけです。そのことは作品のなかでトークという形で触れているわけですけど。
それで、どんな美術作品を作ろうかということになって、ディスカッションをくりかえしながら少しずつ作品の基本コンセプトを作り上げてきた。その後、かなりの紆余曲折はあるんですが、最終的にはそれが「抱擁服」という形に落ちついたということです。
で、それを中心に据えた形で、金銭について考えるような作品にするためのいろんなアイデアを考えてだして、そのなかに観客も参加するかたちでのアンケートや入札というのもでてきたんですね。
とにかく物語的な要素によらないやりかたで金銭というテーマを扱いたかったということがあって、だからダンスや音楽なんかもそういう考えにもとづいて組立られています。
僕たちにとってお金とはなにかと考えるプロセスがそのまま「¥1,000,000 」という作品をつくるプロセスと重なるような、そんな作品づくりだったような気がします。


時々自動のダンス(クージャミダンス)について
A 僕たちが身体を動かして何か表現をしたいと思ったときに、時々自動にはダンスを踊れる人が誰もいなかったということなんですね、具体的には。
要するに既製のダンスのテクニックを持っている人が誰もいなかった。それでもダンスを踊ろうとするときに、自分たちなりの方法をきっちりつくりあげなければならなかったという事情がありました。
それで考え出したダンスがクージャミダンスです。
ちょうどクージャミというリズムパターンの共有というアイデアが併行に考えられた時期だったので、これもダンスに応用していこうということになったんですね。
それと、内面を踊るのではなくて、身体そのものを踊るというか、そういうダンスを考えてましたから、どうせだったらおもいっきり身体を不自由にする中で、その不自由さと格闘しながらできていくダンスってものが面白いんではないかというふうに思ったんですね。


参加者からの質問
Q 作品の始まりと終わりが聞きたいという感じなんですけれど。つまり、例えばある演出家が一人いて、1から10まである程度その人が決めてやる、まあ、そうじゃないんだろうと、今、話聞いて思いましたけども。だとしたら例えば今回の場合はオブジェとか、あるいはお金ということから入っていましたけど、場合によっては例えば映像から入ったりとか音楽とかから入ったかもしれないし、どういう入り方をするのかということを一つ聞きたいのと、あと、終わりの部分で、つまり、時々自動の場合は、いろんな映像あり、音楽あり、踊りあり、楽器ありっていろいろ要素があるじゃないですか。そういう要素をどうやってまとめあげていくのかということをちょっとお伺いしたいなと思います。

A その、最初のご質問の作品の、入り口みたいなものですね。
入り口に関してはこれ、本当にばらばらなんですよね。作品によって全然違っていて、今回は特にお金のことであるとか、お金と芸術のことであるとか、自分たちと密着した問題から作品を掘り起こしていこうというのがあったんで、そういうふうな入り方になりましたけれど。
例えば、ただ一つの太鼓があるということから始まったりすることもあるんですね。
『15分』という、15分ジャストの作品があるんですが、バスドラムが7つ道路標識みたいに立っていて、それをドカドカ叩いていくような作品なんですが、それを作っていくプロセスは、まず知り合いの美術家の人からその太鼓を偶然もらうってところから始まってるんですね。
じゃあこれをどうやって使っていったらいいか、どうやって叩けばいいだろうって考えて、でいろいろ試してみるんですが、普通に叩いているんじゃなんだかちっともおもしろくない。それでドカドカ走りながら叩くということをやってみると、これがじつにおもしろい。
どうしておもしろいのかって考えると、これは音が生成してくる、あるいは音楽が立ちあがる瞬間そのものなんじゃないかってことに気がついてくるんですね。
まあ、作品見た人には非常にわかりやすいと思うんだけれど、ああ、ちょっと暗くなりますでしょうか

(「15分」のビデオが上映される)

これなんかはまず太鼓ありきなんですね。そのあとどうやって叩いていこうかと試行錯誤する過程で、さっきもいいましたけど、音楽が立ち上がってくる瞬間が見えてくる。それも身体、身体の動きがそのまま音楽に直結するような瞬間ですよね。そうすると次に、じゃあ身体の問題っていうのも考えていこうということになるわけですね。
そんな風にいろいろな展開があって、この作品の場合は管理、要するに社会システムの中で管理されている身体っていったものをここでもってうまく展開できるんではないかという風になってくる。だんだん問題の焦点も見えてくる。そうすると作品の形というか輪郭もはっきりしてくる。そうするとその作品の形からまた、より深いテーマが見えてくる。
そういった往復運動を繰り返しながらこの作品は仕上がっていったと思うんです。
作品の入り口のはなしから作り方までいっちゃいましたけど、そういったものもあります。

あと、最終的な出口の話なんですが、作品をどこでもって終わらせるかというのは、これはすごく難しくて、実は作品てなかなか終わらないんですね。終わらないというか、どこで終わりなのかってよくわからないっていうところもあるんですけれども。
だいたい時々自動の作品は、作りながら考える、或いは考えながら作るというものなんで、考えに終わりがないように作品にも終わりがないんじゃないかとさえ思える。まあ、誤解を恐れずにいえば、「今回はとりあえずここで終わろう」という感じに近いかなという気はします。
中身を組み立てるのがぼくの仕事なんですが、どうやって組み立てるのかと聞かれて、ひとことでうまくは説明できません。
メンバーが作品のテーマやコンセプトに即して作った、音楽とかダンスとかを組み立てるプロセスっていうのは、やっぱり新しい思考というか、新しい考えのプロセスそのものなんだろうなと思います。
だからああでもないこうでもないを、いやっていうほどくり返して、やっとの思いである形にたどり着く。でもそれは絶対的な最終形ではありえないわけです。
でも思考といっても理屈とかっていうことと全然違うもっと感覚的な思考っていうか、そういう要素があって、たとえばテーマがあっても、そのテーマを言語、普通の意味での言語に置き換えて提示するというようなことではない、別な表現のための言語を発明しながら新しい提示の仕方をする場合には、やはり理屈ではない感覚的な思考がものすごく必要になってきます。
だからある部分では非常にこう、音楽的なリズムでもって組み立てていったりとか、それから、僕らがアイコン・アートと呼んでいるような、記号と具象の中間的なスタイルの絵が構成要素に加わったときに、これは見る側にどういったことが思い浮かぶだろうとか考えて、その上で、じゃあどういう順番で展開していけば、見る側がより豊かなイメージを持つことができるだろうかということを考えながら組み立てていくわけですけど、こういうのは理屈じゃないですから。やっぱりとても感覚的な要素がおおきいわけです。
もちろんそこでは単に気持ちのいい流れだけではなくて、それを意識的に異化していくような、ちょっとひっかかりがあるようなやり方もやっていく場合ももちろんあるし、今回の場合なんかでも割と積極的にそういったことを考えて構成しています。必ずしも気持ちよく全体が進行すればいいとは思っているわけでもないです。
はなしがちょっとずれますけど、大体初日の1週間前でもまだ最終的に組み立たないんです。それで今回もぎりぎりまでかかって、でもこういう方法だからそれは仕方がないんですね。あらかじめテキストがあってそのテキストを具体化していくっていうのと全然違うわけですから。